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母の死!

 先日、満88歳になったばかりの母が息を引き取った。生涯、苦労の連続だった母を想い、せめて母の生涯を書き止めておきたい。(喪主の挨拶より)

                               喪主の挨拶

 本日はお忙しい中、急遽、母けさ江の葬儀に参列いただきまして誠にありがとうございました。 
先週の金曜日、1月23日より遺漏の内容物を吐いたり、急に息遣いが荒くなるなど、今までに無い症状に陥り心配していたのですが、1/26(月曜日)の夕方、眠るように息を引き取りました。
 生前は皆様方に何かとお世話になり、改めて御礼申し上げます。

 ここで簡単に母けさ江の半生を紹介させていただきたいと思います。
母(けさ江)は飯山市瑞穂豊1603番地の父啓作、母きみよの4人姉妹の長女として生まれ、小学校を卒業してからは大阪の叔母(松岡すめ)の家に子守として働きに出て家計を助け、昭和17年に父啓作が戦死すると、すぐ呼び戻され17歳にして一家の家長として、4人姉妹の先頭に立ってたくましく生きてきたようです。
 昭和25年ごろ、親戚の方々の計らいにより、飯山の名家(西川家)より父虎次郎を迎え、父は大工、母は田んぼ一反8畝と庭の畑を耕し、3人の息子を育ててきました。
 昭和55年に長男の私が柏原の近藤家より洋子を向かえ、孫達(かおり、陽)の子守りなどをして穏やかな生活をしてきた訳です。

 転機が訪れたのは平成10年でした。私が脳梗塞を発症して入院し、生活の見通しがまったく立たなくなってしまったのです。それでも私は飯山市で頑張るつもりでした。そんな時、おふくろが言ったのです。
 「人に借金してみじめな思いで暮らすより土地を売って、借家で新規一転頑張ればいい!」と。

 平成13年に私達家族はここ須坂市に居を移し、新たな生活を始めた訳です。
それから14年経ちますが、最初の8年間は私のリハビリを兼ねてお袋や叔母さんたちと共に里山登山に勤しみました。須坂市の鎌田山、坂田山、米子山の不動滝、高山村の赤和観音、菅平の保基谷岳、戸隠神社、松代の皆神山、青木村の十観山、妙高の燕温泉付近、妙高のいもり池付近や苗名の滝など。特に須坂市の鎌田山は私のライフワークとして何度も行きました。私が行くぞ!と言うとどこへ行くかも分からずとも素直についてきました。気がつくと一張羅の革靴を履いてきたりして山道に馴染まずまいったものです。最後の方では杖をうまく使えずに、前のめりになってしまい、叱咤激励しながら下りてきたこともあります。
 平成21年になって脳梗塞で入院してからは寝たきりになってしまいました。
そして平成22年、今度は大腸にガンが発見され、しかもかなり大きなもので、医者からは余命3ヶ月と宣告されました。少しでも長生きしてもらいたいと願い、手術で摘出した訳ですが、それから6年が経ちました。本心はいつまでも長生きしてほしいと思っていましたが、寝ているものにとっては辛いものがあったかもしれません。孫2人の顔も見れて幸せだったと思う他ありません。
 最後は苦しむことなく眠るように逝ったことが心の慰みです。かおりや陽達もりっぱにやっています。後のことは心配しないで安らかにおやすみ下さい。

 皆様、本日は本当にありがとうございます。88歳のお祝いだと思ってにぎわせていただければ幸いです。ありがとうございました。
    
                                              平成27年1月29日   丸山一郎

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