スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 「私が幸せでありますように」(自由人の カルマ・ヨガ ノートより)

≪自由人の カルマ・ヨガ ノート≫に興味深い記事がありましたので転載させていただきます。

 「私が幸せでありますように」

 初期仏教の瞑想法で、導入前に念じるこんな言葉があります――

 「私が幸せでありますように」


 「世界人類が~」という看板は色んなところで目にするけど、一方でこの「私が~」というのは、実に精妙な言葉だなと感じる。

 と言うのも、人間のエゴ意識(自我)というのは、表面上は「私の幸せを第一に願い求めている」ように見せかけておいて――、
 奥にある魂胆としては、「私には決して幸せになってもらいたくない」と考えているからだ。


 エゴ意識にとって、「私」というものは――、切り離されたちっぽけなかけらのような、頼りないほど不安定で、大切な何かが欠けている、「そのままでは不幸せな性質」のものでなくてはならない。

 私たちにそのような自己像を抱かせることによって、「今あるもの」ではなく「これから獲得すべきもの」へと目を向けさせ、そして心の欲求に従って「先の幸せの実現」だけを延々と追い求め続けるようにする――
 これがエゴ意識の手口といえる。

 それによって人は、内なる「本当の私」に目を向けることなく、エゴ意識と自己同一化した形で、一生涯を送っていくことになる。

 よく言われように、「不幸せな私」「そのままではダメな自分」というのが、エゴ意識にとって必須のエネルギー源なわけだ。


 もし私たちの内が、喜びや幸せで本当に満たされてしまうと――、そこにエゴ意識はもはや存続していくことができなくなってしまう。
 「私が幸せでありますように」という純粋な願いは、エゴ意識にとっては存続基盤を危うくする、とても不都合な言葉といえる。


 そのため、たとえば世界人類の幸せを願うときには、まったく何の異論も湧いてこなくても――、
 こと「私が幸せでありますように」と願ったときに限って、心の片隅で「やはり幸せになるためには○○が必要だ」とか、「今の自分はまだ幸せを受け取る資格はない」といった、エゴのささやきが聞こえてきたりする…。

 そのささやきは一見、きちんと理屈の通る自分自身の思いのように感じ取れるけど――、実際は、自己同一化したエゴの、巧妙な生き残り手段にすぎない。





 もう一つ、心の底で抵抗感が出てくる、単純きわまりない言葉――

 「お父さんありがとう、お母さんありがとう」


 これは翻訳家の山川紘矢さんが、いくつかの自著に書いている体験談だけど――、
 もともと大蔵省の高級官僚だった山川さんは、重い喘息を患って退職せざるを得なくなった。
 病気の具合が少し良くなったとき、あるセミナーに参加した。そこで、全員が輪になって手をつなぎ、「お父さんありがとう、お母さんありがとう」と繰り返し唱えるワークがあった。

 山川さんは、「何でこんなところまで来て、幼稚園みたいなことをしなくちゃならないのだ」とばかばかしく思い、帰宅後に奥さんに「とてもつまらないセミナーだったよ。新しく学んだことなんて何もなかった」とこぼしたそうだ。


 ところがその夜、寝床に就いたあと――、両親をはじめこれまで出会った人たちの顔が次から次に浮かんできて、それに向かって「ありがとう、ありがとう」という大きな声が、止まらないほど内からあふれ出てきた。
 そのうち、世界や宇宙への感謝の気持ちで満たされ、その全体と一つになっていく体験をしたのだという。

 さらにその翌日から、何年間も治らなかった喘息がどんどん快方に向かったそうだ――。


 両親への感謝を、まったく何の抵抗感もなく心から言える人は、もちろんたくさんいるだろう。
 でも一方で、言うこと自体に気が重い人や、あるいは言葉としてはサラッと口にできても、そのときの心の奥底にある感覚にはあまり触れたくないというケースも少なくないと思う。

 僕自身はというと、親との確執などはほとんどないはずなのだけど、あえて「お父さんありがとう、お母さんありがとう」と唱えてみると――、どこかにかすかな引っかかりというか、正体不明のスッキリしない違和感は確かに感じる…。

 おそらくは、何かわだかまりとなる幼少期の潜在記憶があるのかもしれないし、もしかしたら今の両親と過去生において、感情のもつれた関係性があったのかもしれない…。


 エゴ意識や潜在記憶、過去生から持ち越された未清算の課題など――、私たちは浄化して手放すべきものを、まさしく内面に山積した状態で生きている。
 それらの原因は容易に分かり得るものでないし、メカニズムは非常に複雑だ。

 でも、それらを解消するための一つの有効な手立てといえるのが――、
 エゴが抵抗を示す、身近でシンプルな言葉を、あえてはっきりと「宣言」してしまうことかなと思います。

 「私が幸せでありますように」
 「お父さんありがとう、お母さんありがとう」


 こういう言葉を見て、心の中でどこか反射的に敬遠したり、ケッと思ったりするようなところがあったなら――、それが内にある「浄化すべき対象」なのでしょうね。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

月光舎人

Author:月光舎人

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
プロフィール

月光舎人

Author:月光舎人

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。