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神の分け意識(自由人の カルマ・ヨガ ノートより)

≪自由人の カルマ・ヨガ ノート≫に興味深い記事がありましたので転載させていただきます。
http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-396.html

神の分け意識

自由人、カルマ01

 私たちが、いつも色々と感じたり考えたりしている「意識」というものは、なぜ存在しているのか?――

 現に自分にこうして「意識がある」ことは、誰にとってもあまりに明らかで、当たり前のことだろう。
 でも、その意識というものがいったい何であるかは、人類の最大の謎の一つとなっている。

 それは、「宇宙のあらゆる神秘の中でも随一の謎」と言っていいくらいだ。
 なにしろ、宇宙の神秘を問うている私たちの意識そのものが、はたして何であるのかが分かっていないわけだから…。


 脳科学では長年、脳の中に「意識」を生み出している神経細胞があるに違いないと考えて、研究されてきた。
 ところがいまだに、それは見つけられていない。

 そうした中で、近年最も注目されている考え方が――、
 アメリカの神経学者クリストフ・コッホが提唱する「統合情報理論」というものだ。

 コッホ氏は、「私たちの意識は、特定の細胞にあるわけではない」としている。
 そして、「意識とは、脳細胞が『複雑なつながり方』をして、一つに統合されたときに生まれるものだ」と説く。


自由人、カルマ02

 私たちの脳には、1,000億個以上もの神経細胞がある。
 そしてそれらの細胞同士は、非常に複雑なネットワークでつながり合っている。

 そのネットワークの中で、視覚や聴覚、熱さや痛みといったさまざまな「感覚」、喜びや怒りなどの「感情」、さらに過去の「記憶」や「思考」といった膨大な量の情報がやり取りされている。

 この複雑なつながりや情報が「ひとまとまりのもの」となったところに、おのずと意識が生まれる――、というのがこの理論の示すところだ。


 この見方は、とても面白いなと思う。
 私たちの意識は、生体や物質などのいわば「実体」の中に存在しているわけではない――。このことを、脳神経科学の立場からも主張しているのだから。

 たくさんの神経細胞による複雑な「つながり」という、ある意味で見えない「場」とか「空間」のようなものが、私たちの意識の正体になるわけだ。


 ただし、こういう点は科学とスピリチュアルの相容れないところなのだけど――、
 人が死ぬときには、意識を生み出している脳のつながりも機能停止する。そのため、「死とともに意識はいっさい消えてなくなってしまう」というのがコッホ氏の見解だ。




 ところで一方、「複雑なつながり」の構造を持つものは、人間の脳だけではない。

 この情報統合理論では、「意識の量」というのを数式で表している。
 そして神経細胞の数が多いほど、またつながりが複雑化するほど、「意識」の大きさは増大するのだとしている。

 たとえばコンピューターなどの電子回路も、将来さらに複雑なつながりを持つように設計されるようになれば、やがてそこに意識が生まれる可能性だってあり得るわけだ…。


 同じように、「複雑なつながり」という視点で見れば――、たとえばアリやミツバチの群れにも、そのような「意識」の力が働いているのではないかなとも思える。
 一つの巣で、あれほど効率的にうまく役割分担をしながら、あたかも全体が一つの生き物のように活動している。
 ところが彼らには、人間の会社組織のようなピラミッド型の命令系統があるわけではない。

 とても不思議な生態だけれど、たくさんのつながりを持つことによって、ひとまとまりに動くための共通の「意識」がそこに生じているのなら――、かなり自然に納得できるような感じがする。


自由人、カルマ03

 さらに言えば、私たちの人間のつながりも、相当に複雑なものだ。

 複雑な脳を持っているうえに、人間同士のネットワークも複雑きわまりないとなると――、それによって世の中全体に強力な「意識」が発生していると考えてもおかしくない。
 これがきっと、スピリチュアル分野でよく言われる「人類の共有意識」というものだろう。

 その「人類の共有意識」が、アリの巣の集団のように、私たち一人ひとりの心や行動に少なからぬ影響を及ぼしているのかもしれないです…。


 ここで、少し前述した「死後」の話に戻るけど――、
 臨死体験者の中には、肉体を離れていった後、あの世へと向かう途中で「無数の死者たちが漂っている場所」を見た、という証言がいくつもある(「囚われの領域」とも呼ばれる)。

 その死者たちは、同じ宗派や信念や嗜癖といった、共通の価値観を持つ者同士で、グループになってかたまっているのだという。
 そして、その場所から抜け出せない状態のまま、延々と滞留しているそうだ。

 これは、臨死体験者が目にした、「人類の共有意識」の姿ではないかなとも思う…。


 人の意識は、死によって脳が機能停止したあとは、その肉体ではもはや存続できなくなる。

 でも、コッホ氏が言うように「消えてなくなってしまう」のとは違って――、より大きな「複雑なつながり」である、「人類の共有意識」の一部として取り込まれ、存続するケースもあるのではないだろうか。




 ただ幸いなことに、そんなおぞましい「囚われの領域」にとどまってしまうのは、かなり限られたケースのようだ。
 ほとんどの臨死体験者は、その領域を通り過ぎて、天界へと迎え入れられている。
 そしてそこで、壮大で崇高な存在と一つになるという、信じられないような至福を体験したことを、多くの人が語っている。

 その壮大な存在とは――、まさしく「宇宙」そのものではないかと思う。


 私たちが住む地球は「天の川銀河」に位置していて、その銀河には実に1,000億個もの星が集まっている。
 これだけでも途方もない数だけど、宇宙にはそうした銀河が1,000億個も存在している。

自由人、カルマ04
 
 膨大な数の銀河は、宇宙空間の中にまんべんなく広がっているわけではない。

 石鹸を泡立てたときにできる、幾重にも重なった泡のような構造で分布している。
 たくさんの泡の「膜」にあたる部分に銀河が集まっていて、泡の中は何もない空洞だ。

 つまり宇宙の無数の星々は、脳神経をはるかに上回る「複雑なつながり」を形成していて、そこに「最大で根源的な一つの意識」が生み出されているのではないでしょうかね…。


 人の死後、脳に位置していた私たちの「意識」は、壮大な「宇宙の意識」の全体へと取り込まれていって、それと一つになる。

 また逆に、地上世界にいる母親の胎内で脳が形づくられたとき、壮大な「宇宙の意識」の一部がそこに宿る。
 よく私たちの個々の命のことを「神の分け御霊(みたま)」と表現するのは、そういう仕組みだからとも思います。


 「意識」――、それはある意味で「命」や「魂」とも呼べるし、さらには「本当の私」とか、純粋な「存在」と言ってもいいでしょう。
 それは、生体や物質そのものに備わっているわけではない。
 細胞のつながり、人々のつながり、星々のつながり――。その「つながり」という、実体のない「間」に、それはある。

 イエスが「神の国はあなたがたの間にある」と語ったのも、そういう観点が含まれているのかな、とも感じますね!
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