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外回り(外構工事)の自営工事を一通り完了して②

 自分のこれまでを振り返ってみると、

 1、中堅建設会社(ゼネコン)での修行時代
 2、専門建設会社(サブコン)での修行時代
 3、独立して建築事務所を営んだ時代
 4、脳梗塞後のリハビリ苦難時代
 5、年金生活時代
 
 に分けられる。

1、の中堅建設会社(ゼネコン)での修行時代ではゼロからのスタートだった。定時制高校(建築科)を卒業してその会社へ入ったのだが正直に言えば、どんなことをやっている会社かも知らなかった。今の時代、そんなことを言えば直ぐ落とされる。定時制高校ではクリーニング店に住み込みで4年間働いていた。(建築に関係しないところならば、卒業したら直ぐ辞められるという計算もあった。)

 配属先は本社の積算課だった。自分で希望先を書いていたのが通ったものだ。そこで2年修行したが、現場での実務経験なしに積算だけをしていることに疑問を感じ、現場へ出してもらった。それからが苦難の連続なのだが、私にはいつも苦しい通を自ら選ぶ癖があるようだ!
 そんな中、今でも付き合いのある渡辺主任(当時)と当時の阪田工事課長(当時)に出会った。渡辺主任は地区は違うが同郷だ。その当時現場で施工図を描くのが一般的だったのだが、新たに設計部に部署が新設され(生産設計課)そこに配属されていた。そこで東京支店への転勤を命じられ、「辞める、辞める!」と騒いでいたのを2人が拾ってくれたものだ。(今の時代だったら、どうぞどうぞで終わりだ!)あのとき懸命に説得されなければ今の私はなかった。
そんなことがあって私の場合現場常駐の施工図マンとして大きな百貨店や事務所建築に携わることが多かった。施工図とは現場の職人が見るもので、施工図がなければ建物にならない。設計図の質にもよるが現場の納まり(ディティール)などは施工図の範疇に入る。またコンクリート建造物の場合は必ず【コンクリート寸法図】を描いてそれを基に型枠大工や鉄筋工がそれぞれ加工する。墨出しもこの図面を基に行う。いい建物を造る前提としてまずしっかりとした施工図を描くことが求められた。私はいつも収まりなどを考える癖がついていた。ただし、渡辺主任達からは『初めから頭の中だけで考えず、現場の状況を細かく把握した上で納まりを考えろ!』という意味のことを常々言われた。そうでなければ使い物にならない唯の画になってしまうというのだ。
 
 当時の社風は「いいものを造る!」だった。下請けの職人もしっかりしていて、全社一丸となって邁進していた。特にこの2人は妥協を許さないという意識が強く、また私もそんな先輩達の一員になっていた。阪田工事課長(当時)などは「他人が手がけた手すりなどに、危なっかしくて寄りかかる気がしない!」と常々嘯いていた。理不尽なことを言う当時の建築部長に酒の席で張り手を見舞ったという逸話もある。信念を曲げない豪の者であった。
当時、渡辺主任が話していた。阪田工事課長(当時)に誘われて頻繁に書店に行くのだが、気に入ったものがあると、「これがいい!」と言って動かないと言うのだ。それも土門拳写真集のような高いやつばかり、仕方がないので買ってあげるのだそうだ。課長はそこへ行くことを「情報センターへ行くぞ!」と言っていたそうだ。知識欲、向上心が旺盛な人だった。(単なるたかりの気もするが?)

 ≪決して妥協は許さない!完璧なものを求める!≫それが合言葉になっていた。特にコンクリート打設後の始末には最低4時間は費やし、残業もいとわなかった。本社ビルのアンカーフレームを自分達でセットしていた時、辺りがしらみ(明るくなる)始めてきた。仕事に夢中になって残業していたら朝になってしまっていた。常にいい工法はないか?追求した。バリューエンジニアリング(価値を得る為の工法)も研究した。

 しかし1人でのアパート暮らしで、生活も不規則な為徐々に体調は悪化していた。結局8年間勤めた会社を辞めることになるのだが、阪田グループが私のために送別会を開いてくれた。記念品としてモンブランの高級万年筆(6万円以上)を頂いた。今でも大事に使っている。(続く)
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tag : 自営工事

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