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外回り(外構工事)の自営工事を一通り完了して⑥

 月曜日の朝、地元の飯山日赤病院へ行った時には左足は動かず、左腕も同様で上に上げることも出来なかった。手も閉じたまま動かすことも出来なかった。それから長い永い闘病生活が始まった。
 気楽に入院している余裕などなかった。長野のリハビリセンターに通うという名目で、一ヶ月半で無理やり退院し、後は自分でリハビリに励んだ。もちろんリハビリセンターにも通った。リハビリを続けながらも、無理やり仕事をやり続けた。身体障害者の申請もしたが、6級ということで給付金などなく、さりとて思うように体が動かず矛盾を感じた。
 3年ほど頑張ってみたがついに土地を処分して須坂で心機一転やり直すことにした。
そのころには左足も引きずりながらも歩けるようになり、左手もだいぶ上がるようになって、口のゆがみも取れていた。ただ手の動きはいくら訓練してもダメだった。だからトイレに入ったときトイレットペーパーを巻いたりちぎったりする時に苦労した。よく左手でよかったといわれるが、そんなことはない。左手というのは非常に重要な役割を果たしていることを知った。何かを結ぶときなどもうまく出来なかった。細かい作業が出来ない、そんなもどかしさは家族にも分からないと思った。須坂へ移ってからも大工さんからの依頼物件をやったりしたがそれだけでは食べていけなかった。
 ちょうど郵便局の臨時職員の募集があったので応募した。面接の時足が不自由であることを悟られないようにした。なんとか採用されて配達員になった。バイクを運転するのだがハンドルを軽く握る程度は出来たので問題はなかった。バイクの運転は定時制高校時代の4年間クリーニング店で働いていたので自信はあった。3年間勤めたが腰を痛めて辞めた。
 夜0時から朝8時まで運送会社の仕分けのアルバイトもした。独立したてのころも夜の仕事をしたが、十分な睡眠も取れるはずもなくバイオリズムも狂って辛いものがあった。
 60歳を過ぎて年金が支給されるまでの間が非常に長く感じられた。この間もリハビリは積極的に続けた。平成15年から里山登山を始めた。まずは地元の妙徳山、明覚山、雁田山、井上山、笠ヶ岳から破風岳、本白根山、根子岳、虫倉山、一夜山、飯縄山、黒姫山、妙高山、火打山、薬師岳、三登山、髻山、旭山、富士の塔山、鍋倉山、小菅山、上田方面の大観山、夫神岳、女神岳、太郎山、子檀岳、獨鈷山、烏帽子岳、保基谷岳、東篭の塔山、黒斑山、岩井堂山、駒ケ岳など。もちろん健康な人の2倍、3倍とかかるのだが脳梗塞を患っていてもここまでできるという証が欲しかった。それから常に≪挑戦≫するという意識を失いたくなかった。そして“何年かかっても自力で健康回復して見せるぞ”という思いも常にあった。≪トカゲの尻尾は見事に再生されるのに人間に出来ないはずはない。時間がかかるだけだ!≫と。

 こうして 4の脳梗塞後のリハビリ苦難時代もどうにか乗り切ることが出来た。(続く)
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