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私の3丁目の夕日25 :稲刈りはみんな手刈りだった!

 我が家の場合、1.8反歩(約540坪)の田んぼを作っていたから平均して18俵ほど米が収獲できた。しかしその内2俵ほど出荷して金に替えたので、6人家族で一年間食べると最後には足りなくなった。それを見越して麦飯の入ったご飯を食べなければいけなかった。今でこそ健康食などと言われているが、当時は麦飯が嫌いだった。あのつるつるとした感触が嫌だったし、中学校へご飯だけを持っていくのだが(おかずだけ支給されていた)、何となく恥ずかしかった。(子供の頃はみんなと同じでないと恥ずかしかった:今思うとバカだった)
 これは余談だが、母親がまだ元気だったころ健康にいいからと麦飯を勧めたことがあった。しかしあまり食べたがらなかった。あまりおかずは食べないのだが“白いご飯”だけは譲れなかったようだ。満足に“白いご飯”を食べられなかった思い出がそうさせるのだろうか? 

 そんな思い出があるが、稲刈りは我が家の一大行事であり手伝った農作業の中で一番比重がある。例によって父親は大工の仕事に専念しなければならないので母親が中心になってやるのだが、この地方にも【結い】の風習があり、しばしば近所の結い仲間に頼んで稲刈りを行った。もちろん日曜日などは子供たちも駆りだされた。私も小学校の高学年から中学生の間ずっとやってきていささかコツを覚えた。5~6株くらいをまず置き、続いて同じ量を少しずらせて重ね、そこから束ねる分の稲藁を取り、くるくると回しながら束ねていく。(言葉で説明するのは難しい)
 頃合をみて一束ずつ散らばった稲藁を12束ばかり集めて結束する。稲藁坊主の完成だ。これを立てて天日で乾燥する。田んぼにはぜを作って天日乾燥する光景も最近では見受けられるが、我が家ではそこで少し乾燥させた後、家へ運んで家の傍にはぜを作り(2段くらいの高いもの)天日乾燥させた。
 これは昭和36年から昭和41年ころの話だが、私が長野で住みこみで働いていたころ(昭和44年ころ)、日曜日に家に帰ったところ、すぐ下の弟(虎夫)が面白い草刈道具を使っていた。10株くらい一気に刈ってしまうものだ。力のある弟はそれを使って次々となぎ倒していた。ただし誰が束ねるかといえば最後に母親がやるしかなかった。少しでも労力を得る為には仕方ないが、少人数で決まりよく仕事をする場合は刈り散らかすよりも刈った分だけ束ねる従来の方法が理にかなっていると思った。これはどんな仕事にも当てはめられる。特に広い面積の作業などの場合、やった分だけ片付ける方法が精神的にも楽だ。後でまとめて片付ける方法だとストレスがたまって能率が落ちる。

 現在では機械化が進みコンバインなどで一気に刈ってモミにしてしまうことが多いが、天日干しにこだわる人や機械が入らない狭い土地の人はオートメ化されていない稲刈り機や手刈りも侮れない。

 農作業の手伝いをしていて楽しみなのは祖母が10時と3時にテクテクと持ってきてくれる【こべり】(おそらく小昼が訛ったものだろう)だ。むすびやパン、お茶のセットなどだ。それが唯一の楽しみだった。又、仕事の合間にマメの茎で編んだ国会議事堂のような虫かごにイナゴを入れて遊んだ覚えもある。そのころはイナゴもいっぱいいた。ただし私はイナゴが苦手だ。


 
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