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私の3丁目の夕日26 :様々な木の実で飢えをしのいだ!

 私が小学校のころ、昭和30年代のことだ。学校から帰って戸棚を開けても、おやつになるようなものは無かった。もう亡くなったばあちゃんに「煮干でもかじってろ!」とよく言われたものだ。煮干は今でこそ高いが当時は安かったのだ。いつも腹をすかせていたような気がする。今の子供のようなぜいたく三昧とは無縁だった。サツマイモを生でかじったこともあった。硬いが噛んでいるとかすかに甘さがあった。
  そんな時代にあって我々子供たちが比較的自由に飢えをしのいだのが木の実の収獲だ。ボタンキョ、スイカモモ、アンズ、リンゴ、柿、ナツメ、グミ、桑の実、栗、アケビ、栂の実、等等。食べられるものは何でも食べた。近所の子供たちが木に登ってまだ熟していないボタンキョやアンズをかじった。酸っぱいのだがおかまい無しだ。さきほどのばあちゃんが「このやんども!降りろ!」と言うのだが意に介さない。下の家の俊三さんがボタンキョの木の上で蜂に襲われ坊主頭がこぶだらけになったことや、裏の家の正巳君が2.5m位の柿の木から落ちて大泣きしたことなどが思い出される。堤防の向こうに植えてあった桑の実を取りに行きビンの中に桑の実を入れ棒で潰して口を真っ赤にして食べた記憶もある。木の実ではないが、芝の芽もよく食べた。よく覚えていないが黒くなる芝の芽もあった気がする。芝の芽を含んで左右にこすると口元が真っ黒になった覚えがある。
 これは余談だが、斜め下の家の同級生の富寿君が自宅のリンゴの木に縛り付けられていたことがあった。悪さをしたのだろうが、そのじいちゃんも頑固者の名うての名物男だった。

 木の実で一番印象に残っているのが自宅にあった柿だ。品種は針田早生という甘柿で、その当時で50年ぐらいの樹齢だったと思われる。結構な高さがあり9m以上あった気がする。身軽な私はその最先端まで登り、大きく、手ごろの熟柿加減のものを10個くらいもいではポケットに入れ、悠々と食べ続けた。家の家族で最先端まで登れるのは私ぐらいで、父親はもっぱら竹の先にカギを縛り付けて落として採った。だから傷付いて良くなかった。私は篭に入れては紐で吊るして下ろした。だから「柿の番人」のような存在だった。それは私たちが飯山を離れる直前まで続いた。思い出されるのは私が柿の木に登っていると、今は亡き下の家のばあちゃんが「熟柿あったらおくれ!」と寄ってきたことだ。


 須坂市に越してきて13年経つが未だに柿が好きだ。弟が甘柿を持ってきてくれるが、食べだすと10個くらい平気で平らげる。息子はほとんど食べない。

 私は柿で育った気がする。

柿の木.2jpg
丸印が私が登った場所。柿の木は折れやすいので2ヵ所捕まっていないと危険だ。


コピー ~ PA245118
今年の自宅の渋柿(ハチヤ)。今年はあまり生らない。もうじき収獲だ。これは干し柿だ。
 

 

 
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