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「空」への巡礼(自由人の カルマ・ヨガ ノートより)

≪自由人の カルマ・ヨガ ノート≫に興味深い記事がありましたので転載させていただきます。
http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-362.html


「空」への巡礼

File0065.jpg

 前回記事で、イスラム教の開祖ムハンマドの生涯を描いた「ザ・メッセージ」という映画について触れました。

 この映画で、ちょっと興味深く思いながら見たのが、メッカにある「カーバ神殿」の初期の姿が再現されているところだ。
 上にある写真がそうだけど、殺風景な砂漠の街に置かれた、巨大な四角い箱ですよね…。


  現在のカーバ神殿がこれで、今と昔とではまるでスター・ウォーズに出てくる「違う星」くらいの、本当にすごい変容ぶりである。
File0066.jpg

 そういえば、イスラム教のことを漢字で「回教」と書く。実は僕はずっと、この神殿の周りを大勢の教徒が取り囲んでぐるぐる回っているから、そのように呼ぶのだと思い込んでいたのだけど、そういう由来じゃないんですね…




 メッカといえば、「中心地」や「あこがれの地」の代名詞であり、世界から年間200万人ものイスラム教徒がこのカーバ神殿へ巡礼に訪れる。

 ではいったい、この四角い神殿の中には、何がまつられているのでしょうか?――

 なんと、中身は「からっぽ」なのである…。
 通常は立ち入りができないそうだけど、関係者が内部をこっそり撮影した映像が、動画サイトにあった。


 壁にレリーフのようなものと柱があるだけで、あとはまるで未入居のマンションみたいに、本当にがらんどうですよね。
 (土台に「聖石」が埋めこまれている話はよく知られているけど、それはイスラムの教義というより、どちらかというと民間信仰に近いものだろう)


 で、どうして中に何もないのかというと――
 もともとここは、360体もの神々の像をまつる「多神教の神殿」だった。
 イスラム教を開いたムハンマドは、故郷のメッカに戻った際に、そうした偶像は唯一神の教えに反するものだとして、外に放り出してことごとく打ち砕いた。

 以来イスラム教では、中に何もまつられていない「からっぽの神殿」に向かって拝んでいる、というわけだ。




 いわば「空」を求めて巡礼して、「空」を中心にぐるぐる回るって…、何だか象徴的ですよね。

 私たちの魂の旅路というのも、実はそういうものかも知れない。
 でも最終的には――、それは遠い地ではなくて自らの内にあること、そして中心の「空」こそが私自身の本質であると見いだすことが、最近のスピリチュアルの教えと言えるでしょう。


 ちなみにイスラムの中にも、人の「空性」について説く、スーフィーという一派がある。
 その著名なマスターであるルーミーの詩は、古いインドの教えや禅などにも通じるものがあって、素晴らしいなと感じる。

 その、たくさんある詩の中から、僕が好きな4つです――



私はどこからやって来たのだろう? 何のためにやって来たのだろう?
私の魂が、どこかからやって来たのは確かだ。
それなら、やがてどこかに帰っていくことも確かなはずだ。


私はこの世のものでも、あの世のものでもない。
私は独自の物語を生きるものではない。
私は居場所を定めないし、跡を残すこともない。
始めも終わりもなく、外側も内側もなく、ただ一つにつながり――、人間に息を吹き込んでいる。


「在る」とは、見えている姿ではない。
「無い」もまた、見えていないことではない。
世界の実存は、世界の中にはない。


癒されるために祈ってはならない。
もう一つの世界の証拠集めなどやめなさい。
あなたが魂なのだから。あなたが魂を癒す者なのだから。

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