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(アインシュタインもいかなる宗教も)信じてはいけない(zeraniumのブログより)

≪zeraniumのブログ≫に興味深い記事がありましたので転載させていただきます。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-4f91.html

 (アインシュタインもいかなる宗教も)信じてはいけない。 

 世界全体は偽(にせ)ものの宗教的人間で満ちている
  教会、寺院、グルドワラ(シーク教徒の寺院)、モスクなどは宗教的な人間でいっぱいだ。しかし世界はまったく宗教的ではないとは思わないだろうか? それほど多くの宗教的な人間がいながら、なぜ世界はこれほど非宗教的なのだろうか? この驚くような奇跡はどうして起きるのだろう? 

   すべての人が宗教的なのに、実際には世界全体は実に非宗教的なのだ。
   つまり宗教が「にせもの」なのだ。人々は「作り出された」確信を与えられている。しかもその確信は体験から得られたものではなく、ただの信念・信条になっている。彼らは信じるように教え込まれているだけであり、それを自ら知るようには教えられてはこなかった。そこが、人類が間違ってしまったところだ。

   信じてはいけない。
   もし確信できないのであれば、疑うほうがよい。なぜならその疑いを通して自らの確信が生まれる可能性があるからだ。あなた方は永遠に疑うだけでは生きては行けない。疑いは病のようなもので、その中ではあなたは満たされることはない。だからいずれあなたは、どうすればそれを超えられるかを探求し始めるだろう。ゆえに(疑うことをやめた)有神論者や偽有神論者であるよりも、むしろ無神論者であったほうがいいと私は言うのだ。

   あなたは常に、信じるようにと教え込まれている。
   それは幼い時代から、誰の心であっても信じるようにと条件づけられてきている。神を信じなさい。魂を信じなさい。あれを信じ、これを信じて受け入れなさいと。信じるようにという条件付けが、あなたの骨肉にまで浸透しているにもかかわらず、それらは単なる信念としてとどまっている。

   あなたに与えられた信念は借り物であり、他の人があなたに与えたものであって、それはあなたの土壌に咲いた花ではない。あなたはまだ知らないのだ。そして知らなければあなたは自由になることができない。知識があなたを解放し、知ることのみがあなたを解放するのだ。

   あなたは神を信じている。
   ところがあなたのビジネスが失敗すると、突然、不信仰になる。あなたは言う「私は信じない、神なんか信じられない」と。そしてあなたの最愛の人が死ぬと、不信仰が沸き上がってくる。あなたは神を信じているのに、最愛の人が死んだだけで、あなたの信仰は破壊されてしまうのだろうか? 

   そうしたものは大して価値のないものだ。
   信頼とは決して破壊されないものだ。それが一旦そこにあれば、何者もどんなこともそれを破壊することはできない。それは絶対に破壊できないのだ。

与えられた信条、信仰を落とす

   だから憶えておきなさい。
   確信と信仰には大きな違いがある。確信とは個人的なものだが、信仰は社会的なものだ。つまり確信はあなたが自ら育てるものであり、確信はあなたがとどまるものだ。そして信仰はあなたに押し付けられるものであり、それはあなたが何教徒であれ、そうなのだ。だからそうした信仰を落としなさい。

   そこには恐怖があるだろう。
   なぜならもしあなたが信仰を落とせば、疑問が湧き上がるからだ。どの信仰も考える余地を与えず、疑問を取り去ってしまう。(そのための信仰なのだ) だから疑問が起きるのは当然であり、それを心配する必要はない。誰もが朝日の光に到達する前には、手探りの暗い夜を通り抜けなければならない。誰もが疑問という夜を通り抜ける。その旅は長く、それは薄暗い。しかし長い旅と暗い夜の後に、朝がやって来る。その時あなたは、すべてのことが価値あることであったと知る。

   「確信」を「作り出す」ことはできない。
   それは作り出そうとしてはならないものだ。しかしそれが、これまで人類全体がやってきたことなのだ。そして「作り出された確信」は信仰として、人々に押し付けられるものになった。

自分自身を信頼する

   確信をあなたの中に探しなさい。
   それを他から借りてきたり、作り出してはいけない。あなたの存在の中へ深く入っていきなさい。あなたの存在の源へと入り、それを発見しなさい。

   探求には(自分自身への)信頼が必要だ。
   なぜならあなたは未知の世界へと入ってゆくからだ。それには途方もない信頼と勇気が必要だ。なぜなら、あなたはこれまでの因習的な世界と、伝統的な社会を去らなければならないからだ。つまりあなたは群集(という集合意識)を去らなければならない。あなたは大海へと入って行くが、あなたがたどりつく対岸があるかどうかもまったくわからないのだ。

   (自分自身に)小さな信頼しか持てない人間は、小さく疑うことしかできない。
   信頼のない人間は、疑っている「振り」しかできず、彼は深く探求することはできない。まず第一にあなたは信頼の美しさ、ハートの道の歓喜を知らなければならない。そうすれば現実の大海へ漕ぎ出したとき、あなたは進み続ける勇気を持つだろう。あなたは自分自身を十分に信頼しなければならないのだ。

   きちんと正確に知りなさい。
   もしあなたが自分自身を信頼できなければ、他に誰かあるいは何かを信頼できるだろうか? それは不可能だ。もし自分を疑っている中で、どうやって何かを信頼できるのだろうか? 信頼するのはあなただ。しかしあなたが自分を信頼していないのに、あなたは自分の信頼をどうやって信頼するのだろうか? 何が起ころうとも、あなたは自分自身を十分に信頼しなければならないのだ。




       『Courage  (勇気)』 OSHO  Kadokawa Shoten

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